2013年5月25日土曜日

「人生とは」と深いことを片手間で考えてみる。


自分は小さいとき、具体的な”夢”を持っていなかった。せいぜい勇者か宇宙飛行士だった。
少し大きくなって、進路相談で「早くなりたい自分を見つけなさい」とか
「職業を見据えて学校を選びなさい」「慎重になりなさい」と言われた。

なんで自分が具体的なイメージを持たなかったか?

それは多分、一つの道に決めちゃったら
本当はもっと違う道でなりたいことが見つかるかもしれない、その可能性をつぶしてしまうからだ。



子供の頃は何でも心を開いて、何にでも興味を持って手を出してみた。
でもあるとき、人と人との軋轢を知り、空気を読むことを知り、
自己主張の怖さを知る。

自分の限界値を探るようになって時間をいかに無駄にしないかを考えるようになる。
お金をかけずに、裕福になる方法を考える。


それも大切なこと。
生きる為に必要なことって多すぎる。社会に出てからそれを知った。

自分の中から出てくる自分と、それを外側から押さえて出来上がる自分。

どちらの自分も持って自分の中で議論して、
それを忘れないことが大事なんだと思う。


そうしないと遊びは生まれないし、
本当なら”あるかもしれない可能性”をつぶしてしまうことになる。
可能性と現実、
ずっと戦わせて生きていきたいよね。

2013年2月21日木曜日

打ち消し合いの矛盾と、高め合いの矛盾



矛盾ということばが好きだ。

なぜなら、そこには哲学的な「考える余地」があるから。
パズルがなぜ生まれたか?なぞなぞがなぜ生まれたか?
それは人間が謎について考えることが好きだから。

秘密を知りたい。矛盾の結論をしりたい。
それは誰にでもある好奇心。

でも、今回話題にしたいのは、ちょっと嫌だった矛盾。

デザインやアートは面白いことを作り出す手段である。
その面白いことを社会的に正当化させる手段の一つに
マーケティングが存在する。
けど、マーケティングはしばしば、デザインの生きた芽を、
そして無垢な少年少女の輝ける夢を根幹から叩きつぶすことがある。

チャンスと賭け事。
経営と運営。
妥協と納得。
安定とチャレンジ。


マーケとデザイン。

このベクトルが一緒になったときの相乗効果は計り知れないが
矛盾したときの打ち消し合いも激しいものがある。

橋渡しをしたときに打ち消し合わないよう
ベクトルをコントロールするディレクション力が必要なんだ。

2013年1月29日火曜日

経年変化とフラッシュバック

学生時代にものの「経年変化」について卒業論文を書いた。
エコとか環境問題に対するデザインが出てきた時期で、
「デザイン」で社会貢献したいと考えていた。

しかし、研究するには難しいテーマだった。
多分突き詰めれば、一生かかると思う。

でも経年変化を再現する方法はすぐに行き詰まった。
そこには雰囲気作りとか、フィット感とか、馴染みとか、
情緒価値の中でも、商品のメインベネフィットになり得ない価値しか
再現できなかったからだ。
「わざと古くする」という行為以上の動機付けは結局導きだせなかった。

でも一方で、この前ブログにも書いた「完璧ではないもの」の価値が、
ここなんじゃないかと思う。

メーカーは均一な価値を持った「完璧な」商品を数多くの消費者に届ける義務があるが、
デザインはそのルールに則る必要はない。
完璧ではないものの一つに、使い古されてピカピカの状態ではなくなり、
均一な「質」を残せていない状態のもの…つまり前所有者のクセが染み付いたものが
含まれているのではないかと思った。

完璧ではないものの持つ価値が一つわかった気がした。

最終的に生産ラインや店頭への流通で支障は出てくるかもしれないが、
リサイクル家具などの元々均一を担保しなくても済む一点物業態をステージにすれば
リサイクルで回ってくる製品一つ一つの「経年変化」を価値構造まで分析して
それぞれにぴったりな方法で再製品化できるのではないか?
むしろ素材として「使い古されたもの」を仕入れる業態に身を置けば、
価値を継承し、面白い作品が作り千々蹴ることができるのではないか?

というわけで、僕は将来像の一つとして古家具店を考えている。

想像するだけでわくわくしてしまうけど、あくまで、一つとして、ね。