2015年12月17日木曜日

2015年も終盤に差し掛かり、僕の所属する会社はインバウンド事業をメイン事業に掲げた。そのほかの業態だった事業を撤廃し、譲渡し、可能な限り事業形態をスリムアップしてインバウンドに特化したチーム編成を作り直した。

新たに店舗を構える計画を練り、限られた予算の中で何が一番今後の展望を支える器になるのか。ただサービスに適した店舗を一店舗借りるという意識でなく、今後の活動の拠点となりうる立地、環境を塾考した上で浅草に店舗を借りる運びとなった。

会社のメンバーはそれぞれの持ち場があるため事務職方だった僕の立ち位置も、新店舗の店長として店を運営するというものになった。おもてなしの監修や、現場でのオペレーティングシステム構築、店舗マネージメントなど幅が広くなり、デザイン以外に配慮べきことが増えた。
サービスとしては2つ。うちの会社の母体となっている創作日本舞踊孝藤流が保持する着物を着せてあげるサービス。そして、今まで日本人向けに行っていた侍ワークショップである。

店長として見える景色と、オフィスでパソコンに向かっていて見える景色は全然違うので戸惑いはあるが何かヒントを掴みながらプロジェクトを推し進めていきたい。

2014年9月29日月曜日

セレンディピティ






アッキーレ・カスティリオーニの椅子を二つ。
自転車のサドルを椅子に用いることで、
電話をしている時など「”ちょっと腰掛ける”ための椅子」という価値を受け継いでいる。

もう一つは農業用の耕耘機の椅子を用いて、
揺れや振動に耐えられる形状を利用し、安定した座り心地を実現した椅子にしている。

どちらも、元々存在する商品を加工することで
価値のDNAレベルで椅子に新たな価値を組み込んでいる。

【セレンディピティ】

デザインや企画の仕事をしていると、
会議で行き詰まる瞬間がある。

ブレーンストーミングや発想法の数々は、
その行き詰まった状況を打破するヒントを脳内の記憶から絞り出すツールが多い。

しかし、大学院のときに”セレンディピティ”という考え方に出会って、
少しその考え方が変化した。

セレンディピティとは、
何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを
見つける能力・才能を指す言葉
つまり、ふとした偶然をきっかけにひらめきや発見、
幸せをつかみ取る能力のことを指す。

この能力は鍛えることが出来るらしい。

確かにキッズデザインプロスペクティブコンペティションで
受賞した子供用歯ブラシ”tooth-fuzz”のアイデアは
当時はやっていたペットボトルで起き上がり小法師を作る方法を見て
「この動きを歯ブラシに取り入れたら面白いんじゃないか」と
思いついたアイデアだった。

ある課題に対して、熟考することや網羅的に問題点のチェックを行うことは大切だが、
一度、課題を意識しつつ日常に立ち返って普通に過ごしてみたり、
ぼんやりと外の世界に思考を委ねてみることも重要な発想法なのだと実感した。

アイデアをくっつけるという考え方は、単純且つ明快ではあるけど、
プロダクトデザイナーの深澤さんの”found object”の考え方に通ずるものがある。
「壁掛け式CDプレイヤー」が換気扇をアイデア元に作られ、
換気扇の概念がないアメリカでヒットしたことなどから
2つの要素が結びつき新しい価値を生み出したことは間違いない。

セレンディピティの能力を高め、
生活の中に存在するありとあらゆるものを、
価値レベルで結びつけることが出来れば
新たなアイデアとして今までにない価値を生むことに繋がると言える。

その精度を上げて行くことが、
今後のデザインの能力を高める一つのきっかけになるのではないだろうか。

収入源のデザインとブランドコミュニケーションのデザイン

現在、24個のビジネスを動かしていると、どうしても出てくるのが時間配分の問題。
ブレーンとなって動いてる人数が4人と非常に少ないのもあって、(しかもデザインは僕1人)どうしても手が回らない事態が多くなってきている。

そこで自然と自分の中で二つのデザインの役割分担が成り立ってきた。
一つは、ビジネスを回転・運営する為のデザイン。
これは最低限のビジュアルで、関わる人の要望を結び合わせ、
主客や顧客のニーズのボリューム層を捉える、いわばミーハーデザイン。

もう一つはブランドコミュニケーションの為のデザイン。
それぞれのビジョンに沿って綿密に練り込まれた、
ブランドビューイングを可視かしたデザイン。
こちらは関係者との緻密なビジョン共有をした上でブランドのゴールや
世界観、ターゲットをくみ上げ、その文脈に沿ったデザインを作り上げるものなので
イメージのズレや、細部へのこだわりが問われる。

この、”こなし”と”こだわり”の二つのデザインのバランスを
取ることによってより効率的なデザインワークスタイルを構築することが出来る。

子だくさんの母親が”肝っ玉かあさん”と呼ばれるように、
ガサツさと繊細さを兼ね備えた”肝っ玉デザイナー”にならなくては行けないようだ。

2013年5月25日土曜日

「人生とは」と深いことを片手間で考えてみる。


自分は小さいとき、具体的な”夢”を持っていなかった。せいぜい勇者か宇宙飛行士だった。
少し大きくなって、進路相談で「早くなりたい自分を見つけなさい」とか
「職業を見据えて学校を選びなさい」「慎重になりなさい」と言われた。

なんで自分が具体的なイメージを持たなかったか?

それは多分、一つの道に決めちゃったら
本当はもっと違う道でなりたいことが見つかるかもしれない、その可能性をつぶしてしまうからだ。



子供の頃は何でも心を開いて、何にでも興味を持って手を出してみた。
でもあるとき、人と人との軋轢を知り、空気を読むことを知り、
自己主張の怖さを知る。

自分の限界値を探るようになって時間をいかに無駄にしないかを考えるようになる。
お金をかけずに、裕福になる方法を考える。


それも大切なこと。
生きる為に必要なことって多すぎる。社会に出てからそれを知った。

自分の中から出てくる自分と、それを外側から押さえて出来上がる自分。

どちらの自分も持って自分の中で議論して、
それを忘れないことが大事なんだと思う。


そうしないと遊びは生まれないし、
本当なら”あるかもしれない可能性”をつぶしてしまうことになる。
可能性と現実、
ずっと戦わせて生きていきたいよね。

2013年2月21日木曜日

打ち消し合いの矛盾と、高め合いの矛盾



矛盾ということばが好きだ。

なぜなら、そこには哲学的な「考える余地」があるから。
パズルがなぜ生まれたか?なぞなぞがなぜ生まれたか?
それは人間が謎について考えることが好きだから。

秘密を知りたい。矛盾の結論をしりたい。
それは誰にでもある好奇心。

でも、今回話題にしたいのは、ちょっと嫌だった矛盾。

デザインやアートは面白いことを作り出す手段である。
その面白いことを社会的に正当化させる手段の一つに
マーケティングが存在する。
けど、マーケティングはしばしば、デザインの生きた芽を、
そして無垢な少年少女の輝ける夢を根幹から叩きつぶすことがある。

チャンスと賭け事。
経営と運営。
妥協と納得。
安定とチャレンジ。


マーケとデザイン。

このベクトルが一緒になったときの相乗効果は計り知れないが
矛盾したときの打ち消し合いも激しいものがある。

橋渡しをしたときに打ち消し合わないよう
ベクトルをコントロールするディレクション力が必要なんだ。

2013年1月29日火曜日

経年変化とフラッシュバック

学生時代にものの「経年変化」について卒業論文を書いた。
エコとか環境問題に対するデザインが出てきた時期で、
「デザイン」で社会貢献したいと考えていた。

しかし、研究するには難しいテーマだった。
多分突き詰めれば、一生かかると思う。

でも経年変化を再現する方法はすぐに行き詰まった。
そこには雰囲気作りとか、フィット感とか、馴染みとか、
情緒価値の中でも、商品のメインベネフィットになり得ない価値しか
再現できなかったからだ。
「わざと古くする」という行為以上の動機付けは結局導きだせなかった。

でも一方で、この前ブログにも書いた「完璧ではないもの」の価値が、
ここなんじゃないかと思う。

メーカーは均一な価値を持った「完璧な」商品を数多くの消費者に届ける義務があるが、
デザインはそのルールに則る必要はない。
完璧ではないものの一つに、使い古されてピカピカの状態ではなくなり、
均一な「質」を残せていない状態のもの…つまり前所有者のクセが染み付いたものが
含まれているのではないかと思った。

完璧ではないものの持つ価値が一つわかった気がした。

最終的に生産ラインや店頭への流通で支障は出てくるかもしれないが、
リサイクル家具などの元々均一を担保しなくても済む一点物業態をステージにすれば
リサイクルで回ってくる製品一つ一つの「経年変化」を価値構造まで分析して
それぞれにぴったりな方法で再製品化できるのではないか?
むしろ素材として「使い古されたもの」を仕入れる業態に身を置けば、
価値を継承し、面白い作品が作り千々蹴ることができるのではないか?

というわけで、僕は将来像の一つとして古家具店を考えている。

想像するだけでわくわくしてしまうけど、あくまで、一つとして、ね。

2012年11月29日木曜日

ヴァーチャリアルの感情伝達



「コンピュータには、書く側から読む側への感情移動を表現する方法と感覚が欠けています。デジタルの世界は、現実世界のニュアンスやイントネーションは言うまでもなく、こうした感情を認識できません。」

こんなことを言うオランダのデザイナーのヤルタ・ファン・アベマ、超注目です。

実はこんなことは言われ古されてることだけど、
アプローチが面白い。

古びたタイプライターにセンサーを付けて
タイプするときの強弱を表現できるフォントを開発。
現実世界のニュアンスやイントネーションを表現できるツールを作っているのです。


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また、ヴァーチャリアルという名前のこの研究プロジェクトには、しなびた葉(上写真)、あるいは溶けていく砂糖のように、時間が経つと退化してしまうフォントの製作が含まれた。
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dzn_jelte_van_abbema_leaf_2jpg.jpg

dzn_jelte_van_abbema_leaf_3.jpg


下:アルファボールド・フォント

dzn_jelte_van_abbema_alfablad.gif



下:Oplossen フォント

dzn_jelte_van_abbema_oplossen.gif



この朽ちるフォントを実現したように、
「こんなことできるのか!」を実現する為に
技術者達を引っ張る原動力・動機を
作り上げることもデザイナーの役割なんだなと思った。