2012年5月31日木曜日

狙った「乱雑」


「ランダム」「不規則」「乱数」といった狙っていない乱雑な様と、
整頓されたものだったら、おそらく整頓されたものの方が美しいだろう。

でも、アーティストやデザイナーは常に新しさに挑まなくては行けない。
乱雑な中から、新しい法則性やルール、決まり事を作り出して、
それをアウトプットしなきゃいけない。

その中で生まれてきた、
狙われた「乱雑さ」の中の、「整頓よりも美しいもの」を
見つけるのがクリエイティビティなんだと思う。

誰がこんなことを!


と、思わせたら「勝ち」だと思う。

ちょっと不謹慎な話をすると、
壁にかかれた落書きは無様で心地の良いものではないが、
たまにふと興味がわくことがある。

ちょうど上の写真のように、
「いったいどんな人がこれを描いたんだろう?」
って考えちゃうもの。

ユーモアに似ている、「やられた〜」って感覚。
こういう力を磨くにはどうしたらいいんだろうか。

2012年5月30日水曜日

うれしい驚き



サプライズもデザインの重要な要素だ。
これまで、「奇をてらったもの」は敬遠してきたが、
今の同期の子は「ユーモア」の媒体として「デザイン」を使っている。

ちょっと前までは
「ユーザビリティ」とか「材料学」とか効率を追求したデザインがいいと思ってた。
もちろんそれは間違ってはいないと思うが、
「ユーモア」を表現する「デザイン」には
「ユーザビリティ」だけを追求したデザインは勝てないと思う。

デザインの一番の魅力は、
やっぱり「かっこいい」とか「おもしろい」とか「欲しい」とか
人の気持ちを揺さぶる価値をカタチにすることだと思うから、
嬉しい驚きがあった方がいいものになるんじゃないかな。

完璧ではないもの


よく、
「あいつはここがだめだ。
でも、そこがいいところでもあるんだけど。」
という矛盾したことを言う人がいる。

でも、それって確かにある感情だ。
完璧なものほど美しいという考え方もある。
しかし、
親しみやすい、なじみやすい、気兼ねなく触れられる、愛着がわく、
親心がくすぐられる、落ち着く、和む、癒されるなどなど、
完璧でないものに対する褒め言葉も沢山ある。

これは、
デザインでも言えることかもしれない。
作り手の努力が垣間見えるもの、移動時に角が取れてしまったもの、
少し補強が必要なもの、塗装がはがれてしまったもの、
うまく機能しないことがあるもの。。。
これらの要素は売り手からしたら失態だけど、
使い手からしたら悪とは言い切れない。

「デザイン」も一緒だ。
定義があやふやだから、
社会経験が浅いこの僕でも、
こうやってデザインについてあれこれ考えられる。

完璧じゃないからこそ、
ものや人に、面白い価値が生まれるんじゃないかな。

意思を引き継ぐものたち


去年のデザインフェスタで、
ルーツファクトリーの代表の方がおっしゃっていたことをふと思い出した。

「取っ手だけ引き継げば、
その持ち主にとって、おばあちゃんの和ダンスの価値は
次の家具に引き継がれる。」

この人たちは、
プロダクトの情緒的な価値を、
素材として「引き継がせる」為の手法として、
リユースやリフォームを行っていた。

修士研究で、レディメイドデザインの
ルールや法則性を見つけようとしていた僕は、
そのときにその愚かさに気づかされた。

その情緒的な価値は、
人それぞれに違うし、その時々によって違う。
ユーザーのカウンセリングをして始めてわかるものなんだと、
気づいた。

インハウスではなく、
中小企業のデザインの面白さはここにあるんではないだろうか?