2012年11月29日木曜日

ヴァーチャリアルの感情伝達



「コンピュータには、書く側から読む側への感情移動を表現する方法と感覚が欠けています。デジタルの世界は、現実世界のニュアンスやイントネーションは言うまでもなく、こうした感情を認識できません。」

こんなことを言うオランダのデザイナーのヤルタ・ファン・アベマ、超注目です。

実はこんなことは言われ古されてることだけど、
アプローチが面白い。

古びたタイプライターにセンサーを付けて
タイプするときの強弱を表現できるフォントを開発。
現実世界のニュアンスやイントネーションを表現できるツールを作っているのです。


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また、ヴァーチャリアルという名前のこの研究プロジェクトには、しなびた葉(上写真)、あるいは溶けていく砂糖のように、時間が経つと退化してしまうフォントの製作が含まれた。
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下:アルファボールド・フォント

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下:Oplossen フォント

dzn_jelte_van_abbema_oplossen.gif



この朽ちるフォントを実現したように、
「こんなことできるのか!」を実現する為に
技術者達を引っ張る原動力・動機を
作り上げることもデザイナーの役割なんだなと思った。

2012年5月31日木曜日

狙った「乱雑」


「ランダム」「不規則」「乱数」といった狙っていない乱雑な様と、
整頓されたものだったら、おそらく整頓されたものの方が美しいだろう。

でも、アーティストやデザイナーは常に新しさに挑まなくては行けない。
乱雑な中から、新しい法則性やルール、決まり事を作り出して、
それをアウトプットしなきゃいけない。

その中で生まれてきた、
狙われた「乱雑さ」の中の、「整頓よりも美しいもの」を
見つけるのがクリエイティビティなんだと思う。

誰がこんなことを!


と、思わせたら「勝ち」だと思う。

ちょっと不謹慎な話をすると、
壁にかかれた落書きは無様で心地の良いものではないが、
たまにふと興味がわくことがある。

ちょうど上の写真のように、
「いったいどんな人がこれを描いたんだろう?」
って考えちゃうもの。

ユーモアに似ている、「やられた〜」って感覚。
こういう力を磨くにはどうしたらいいんだろうか。

2012年5月30日水曜日

うれしい驚き



サプライズもデザインの重要な要素だ。
これまで、「奇をてらったもの」は敬遠してきたが、
今の同期の子は「ユーモア」の媒体として「デザイン」を使っている。

ちょっと前までは
「ユーザビリティ」とか「材料学」とか効率を追求したデザインがいいと思ってた。
もちろんそれは間違ってはいないと思うが、
「ユーモア」を表現する「デザイン」には
「ユーザビリティ」だけを追求したデザインは勝てないと思う。

デザインの一番の魅力は、
やっぱり「かっこいい」とか「おもしろい」とか「欲しい」とか
人の気持ちを揺さぶる価値をカタチにすることだと思うから、
嬉しい驚きがあった方がいいものになるんじゃないかな。

完璧ではないもの


よく、
「あいつはここがだめだ。
でも、そこがいいところでもあるんだけど。」
という矛盾したことを言う人がいる。

でも、それって確かにある感情だ。
完璧なものほど美しいという考え方もある。
しかし、
親しみやすい、なじみやすい、気兼ねなく触れられる、愛着がわく、
親心がくすぐられる、落ち着く、和む、癒されるなどなど、
完璧でないものに対する褒め言葉も沢山ある。

これは、
デザインでも言えることかもしれない。
作り手の努力が垣間見えるもの、移動時に角が取れてしまったもの、
少し補強が必要なもの、塗装がはがれてしまったもの、
うまく機能しないことがあるもの。。。
これらの要素は売り手からしたら失態だけど、
使い手からしたら悪とは言い切れない。

「デザイン」も一緒だ。
定義があやふやだから、
社会経験が浅いこの僕でも、
こうやってデザインについてあれこれ考えられる。

完璧じゃないからこそ、
ものや人に、面白い価値が生まれるんじゃないかな。

意思を引き継ぐものたち


去年のデザインフェスタで、
ルーツファクトリーの代表の方がおっしゃっていたことをふと思い出した。

「取っ手だけ引き継げば、
その持ち主にとって、おばあちゃんの和ダンスの価値は
次の家具に引き継がれる。」

この人たちは、
プロダクトの情緒的な価値を、
素材として「引き継がせる」為の手法として、
リユースやリフォームを行っていた。

修士研究で、レディメイドデザインの
ルールや法則性を見つけようとしていた僕は、
そのときにその愚かさに気づかされた。

その情緒的な価値は、
人それぞれに違うし、その時々によって違う。
ユーザーのカウンセリングをして始めてわかるものなんだと、
気づいた。

インハウスではなく、
中小企業のデザインの面白さはここにあるんではないだろうか?

2012年4月4日水曜日

理想と現実のパラレルワールド

今日、掃除をしていてふと思い出した言葉がある。

「近い未来、ものは壁か人体に収まる」という言葉だ。


デザイナーを目指して一直線に突っ走っていた学生時代の僕は
その言葉に何の違和感も覚えなかったが、

今はどうか?



「たぶん、そうはならないだろう」と思う。


デザインが牽引する「夢の世界」と、
人々がなんとか今日を生き抜く「現実の世界」の二つは、
交わることがないパラレルワールドになっていて、

現実主義の人たちを何らかの手段で「時空移動」させないと
決してデザイナーの理想の世界は実現しないからだと思う。

「デザイナーの修行のため」と、
足を踏み込んだマーケティング・プランニングの世界で
「ショッパーマーケティング」という手法に触れて、
余計にそう思った。

これは店頭やレストランなど「買い場」と言われる
いわば消費の現場で、人々がどんな行動をしていて
そこからどんな欲求が見て取れるかを明らかにする手法で、
一般の人たちがどれだけデザインを意識していないかを
身を以て体感したからである。

右脳的な欲求に腰の重いその人たちの感性を奮い起たせるには、
「価値観の革命」が必要であり、
デザイナーが思い描く理想の世界へどう引っ張っていくかが、
重要になってくると思う。

でもこれはすごく難しいことだと思う。
EXILEが好きな人を、くるりのライブに誘うようなものだ。
引っ張り方の軸がぶれたり、どちらかが無理しても
意味がない。
また、EXILEから切り離さなくては、
腰が重いので、結局一過性のものになってしまうだろう。

…と、偉そうに語ったけど、
何も具体的な解決策は考えられてない。
ある意味永遠のテーマかもしれないこの課題、
あなたならどーする?

「あやふやさ」への期待感

最近「インサイトマーケティング」という言葉をよく聞く。

インサイトの定義は「類推すること」「もっともらしい文脈を推理すること」
となっているが、はっきり言ってあやふやである。

でも、それが正式なマーケティングとして成り立ってきたことには
2つの要因が関係してるであろうと僕は思う。

一つは市場の飽和による消費者の「価値多様化」。
もうひとつは震災による「過去のデータの価値低下」である。

その中で、
震災以降の人々の価値変化を捉える唯一の方法として
「インサイトマーケティング」がはやっているのではないだろうか。

「あやふやさ」への期待感。
それはあるかどかもわからない小さなチャンスを
モノにしようとする人達の「嗅覚」とも言うべきものなのかもしれない。

魔法の杖

そういえば昔、
「UIデザインは魔法のステッキみたいなものになる。」というデザイナーがいた。
ユーザーインターフェイスの授業でもその言葉を聞いたことがあるが、
つまりは「ひとつのリモコンのようなモノで
直感的に、それ一つですべてを操作する」という操作環境のことだろう。

僕はこれを、スマートフォンが実現しつつあると思う。
しかも、それは魔法のステッキよりももっとインタラクティブなもの。

レシピ登録してスマホで操作し、
自由に炊きあがりがコントロールできる炊飯器や、

アプリと連動してより柔軟なコミュニケーションが図れる
ペットロボットが登場して、
「魔法のステッキ」が育む魔法の世界が実現しつつあるんだな。


100通りの「いいね」

一人一人の価値構造が違うという話を聞いた。
人間の価値基準とか価値プライオリティって、
DNA的に先祖から受け継いだものと、
これまで歩んできた生活の中で決まるんだって。

てことは絶対同じ価値構造を持つ人なんて存在しない。

だから、100人いれば100通りの「いいね」が存在するんだね。

2012年3月13日火曜日

デザインの評価

「売れるデザイン」とか「使いやすいデザイン」とか
デザインを評価する言葉の表現は多々あるけど、
それを証明するのは売れた個数だったり、人間工学に基づいた数値だったりした。

学生時代、ワークショップに一緒に参加していたとある美大の女の子が、
「ユニバーサルデザインの調査は、いろんな人の使いやすい尺度の平均値ですか?」
と質問し、物議を醸した。

確かに、万人に使いやすいデザインは存在しない。
人体には個体差があるので、
誰かに使いやすければ、一方で誰かに使いにくい。
それだけを考えるとなるべく多くの人が使いやすいデザインとは
平均値になるのではないかという考えに至るのは自然なことである。

でも、人体の尺度が使いやすさのすべてではない。
そこが難しいところで面白いところである。

車の運転しやすさの評価実験では
同じ背丈で同じ体重の人でも、
一方で使いやすいと絶賛し、
一方で「ハンドルの角度がきつい」だの
「長時間運転すると疲れそう」だのという好き勝手な意見が出てくるのだ。

今の会社で学んだこと
そこから人それぞれの評価軸の仮説を立てることが重要だと言うこと。
前置きが長くなったが、
ようはデザインの評価の価値は
そこにデザイン案へのヒントが隠されているかどうかで決まってきて、
平均値を導きだそうとしている訳ではないのである。

例えば、
「同じ身長でもその人はあまり日常的に運転をしないペーパードライバー予備軍で
常にハンドル操作に力が入ってしまう」というか説が立てられれば
「じゃあ、大きめのハンドルで角度を水平に近くして体全体で運転できるようにしよう」
というデザイン案にたどり着ける。

「運転をするときは鏡は反転してしまい直感的に情報処理ができないから
ミラーを使わないで目視中心の運転をする」というか説が出てくれば、
「じゃあ、ハンドルの位置を高くして目線を落とさなくても
安定した運転ができるハンドルにしよう」というデザイン案にたどり着ける。

それをさらに情緒価値化したのが
ユーザーエクスペリエンスという考え方。
使用者の体験価値を素材にし、ストーリー化して
その製品がユーザーにどんな「良いこと」を提供してくれるのかを
使用者の目線で捉えていくのが真のユニバーサルデザインという考え方が広まってきている。

それはさっきの「回しやすい大きなハンドル」とか
「周りを見渡しやすい、目線に近いハンドル位置」など、機能価値中心だったハンドルの話から更に飛躍して、
「海に行ってそのまま一晩語り明かすときのハンドルって?」とか
「奥さんが駅までの送り迎えで旦那さんに乗ってきてほしい車って?」とか
バックグラウンドのストーリーを設定してデザインをきていく考え方である。

共感できる価値を取捨選択するために、
ユーザーの目線に立ち、客観的に欲しいか欲しくないかを
判断するためにそのようなストーリーテリングを行うのである。

2012年3月6日火曜日

フカボリ

情緒的価値と機能的価値。
この二つはわかっているようでわかっていない人が多い。

自分もまた、その一人だということが今日よくわかった。
実際、情緒価値っぽい機能もあるし、フォーク一つにとっても
「口に運ぶ」ことが「食べる」という動作を生み、
「楽しく食べる」という情緒価値の母体になる。

そこから「どんな風に楽しいか?」「それは何故か?」
「他にはどんな気持ちでそれを使うか」まで抜き取れば
情緒になってくる。

2012年2月28日火曜日

バネを蓄えるという考え方

「今、現状に満足している?」

向上心を奮い起たせるときに一般的に使われる言葉。
でも、現状に満足している人なんてほとんどいないだろうし、
それって義務的なものだったりする。

若い女性のキャリアアップは、子供を産む前にどこまで行けるか
産後の人生を左右する大勝負だったりするし、
男性は常に「家庭を支える」という社会的責任が一般的には伴う。
現状に停滞するということは、
社会的にも危険な判断なのだ。

でも、そうじゃない人もいると思う。
別にはみだし者ではないし、
「末っ子で一生独身を覚悟している自由人」って訳でもない。

もちろん結婚したらまた変わるかもしれないけど、
僕はそういう立場にいると思う。

僕自身は家族の中で、
一番お金をかけてもらっている。
大学院も卒業したし、
社会人になっても家庭にお金を入れないで、
自分の活動ばかりにお金を注ぎ、
ついには活動費が足りなくなり、
親にお金を借りに実家へ帰ったときもある。
世間から見たら恥ずべきことだ。

弟は逆に、安定した人生を歩み出している。
地元のスーパーに就職が決まり、
ほぼほぼ結婚相手も決まり、
バイトをしっかりして大学もそこそこに遊び、
「自分の時間を十分謳歌したな。
あとは家庭を持ってがんばって支えていこう」っていう
社会人として生きていく心構えもできている。
僕から見るとハイブリットで家族思いのすばらしい生き方だ。
そうして、僕の分までしかりした足取りを見せてくれている。

僕と弟は、こんな状態なのには訳がある。
父親は野心を持っていた。
世間でビッグになってやろう、世界を変えてやろうという心構えを持って
結婚を機に千葉へ来た。
でも、そこでの現実は、結婚による束縛と、
不自由な選択肢。
その中でも、押田家をきちんとした家にするために
しっかりした足取りをつかもうとがんばってくれた。
それを母親は苦しみながらも
断ち切れないしがらみの中で、
父親を支えてきた。

そんな親にとって、
僕は野心をかなえる息子。
「天真爛漫なまま、行くとこまで行ってくれ。」
という、賭けに近い思いを込めたんだと思う。
その中で自分の幸せをつかんでほしい。健康でいてほしい。
そう願ってくれた。
弟は、僕がだめになっても、
いつも親のそばにいてくれた。
だから、僕は背後を気にせず、
突き進まなくては行けないんだと思った。

そういう意味で、義務的ではないが
なにか停滞気味のときは
「今、現状に満足している?」
と今でも自分を奮い起たせる。

2012年2月27日月曜日

オリジナリティは自惚れ?

「いいか、まずは先輩の良いところをパクれ!今日の明日で試行錯誤したところでお前は変わらない、どんどんすごいところを盗んで大きくなれ!」
営業のノウハウについて先輩に質問したら言われた言葉。

「盗む」と「パクる」

どちらもネガティブでガサツで、卑しい言葉だけど、
人が成長するためには今や不可欠だと言われている。

結局、人が何か行動を起こすのにはお金が要る。
いかにオリジナリティにあふれているすばらしい作品ができたと思っても、
評価するのは社会で、勝ち残るには人を「共感」させるか強引に「納得」させるしかない。

共感もしくは納得する人が多ければ多いほどこの世の中では「偉い」ということになる。
でも、それは一夜にしてならず。
日々、上に君臨する人の良いところやすばらしいところを
「まね」することで成り立っている。

「自分が世の中を変えてやるんだ」という意気込みを持った若者が
今日本で急増しているという。
が、地道にコツコツと、先代の偉人たちをトレースすることが
本当に今の日本で勝ち上がる近道なのだろうか。

2012年2月25日土曜日

DEVIROCK NIGHT 2012 FINAL



デビロックナイト2012に行ってきましたー!
10feetとか磯部正文とか、バックホーンとかベテラン!ってバンドから、
ONE OK ROCKとか黒猫チェルシーとか若手まで幅広く出てきました。

結構入場に手間取ってたみたいで30分くらい押した状態で始まったから
ギリギリに到着したのに最初のモノブライトも見れたし、黒猫も髭もハスキンも
見たいものばっちり見れました!
あー、すぐにでもまたフェスに行きたい!

2012年2月22日水曜日

モチベーション

最近、営業活動をあまり積極的にしてない自分に上司が言う。

「うちは、仕事を常にまわしてなければ行けない。まだうちの仕事の型を
身につけていないお前が、忙しい先輩に変わって新規活動に励まないと
客数の分母が増えない。だから新規活動をしろ。」

しぶしぶ、僕は動く。

やっぱりモチベーションを上げるのは楽しさとか、興味。
あまり理屈こねてもやる気は起きないから、
単刀直入に「忙しいから新規やってくれ」で良いんじゃないか?

攻める仕事と守る仕事

クリエイティビティとは、
ずっと「攻めること」だと思っていた。

でも、社会人になると「負けては行けない」という条件がそこにつく。
僕はがむしゃらに提案を重ね、細かいことは気にせず面白いことをしてやろう、
上司を驚かせるような仕事をしようと考えながら仕事をしてきた。
しかし、それは「攻める」クリエイティビティのことで、
今のプランニング会社ではそれは求められない。
なぜなら、「世の中を良くする」クリエイティビティではなく、
相手を納得させ、情報に付加価値を付けて売る「商売のクリエイティビティ」だからだ。

社会人のクリエイティビティとは
勝ちにいく「攻める」ものではなく負けないように「守る」仕事だった。