「売れるデザイン」とか「使いやすいデザイン」とか
デザインを評価する言葉の表現は多々あるけど、
それを証明するのは売れた個数だったり、人間工学に基づいた数値だったりした。
学生時代、ワークショップに一緒に参加していたとある美大の女の子が、
「ユニバーサルデザインの調査は、いろんな人の使いやすい尺度の平均値ですか?」
と質問し、物議を醸した。
確かに、万人に使いやすいデザインは存在しない。
人体には個体差があるので、
誰かに使いやすければ、一方で誰かに使いにくい。
それだけを考えるとなるべく多くの人が使いやすいデザインとは
平均値になるのではないかという考えに至るのは自然なことである。
でも、人体の尺度が使いやすさのすべてではない。
そこが難しいところで面白いところである。
車の運転しやすさの評価実験では
同じ背丈で同じ体重の人でも、
一方で使いやすいと絶賛し、
一方で「ハンドルの角度がきつい」だの
「長時間運転すると疲れそう」だのという好き勝手な意見が出てくるのだ。
今の会社で学んだこと
そこから人それぞれの評価軸の仮説を立てることが重要だと言うこと。
前置きが長くなったが、
ようはデザインの評価の価値は
そこにデザイン案へのヒントが隠されているかどうかで決まってきて、
平均値を導きだそうとしている訳ではないのである。
例えば、
「同じ身長でもその人はあまり日常的に運転をしないペーパードライバー予備軍で
常にハンドル操作に力が入ってしまう」というか説が立てられれば
「じゃあ、大きめのハンドルで角度を水平に近くして体全体で運転できるようにしよう」
というデザイン案にたどり着ける。
「運転をするときは鏡は反転してしまい直感的に情報処理ができないから
ミラーを使わないで目視中心の運転をする」というか説が出てくれば、
「じゃあ、ハンドルの位置を高くして目線を落とさなくても
安定した運転ができるハンドルにしよう」というデザイン案にたどり着ける。
それをさらに情緒価値化したのが
ユーザーエクスペリエンスという考え方。
使用者の体験価値を素材にし、ストーリー化して
その製品がユーザーにどんな「良いこと」を提供してくれるのかを
使用者の目線で捉えていくのが真のユニバーサルデザインという考え方が広まってきている。
それはさっきの「回しやすい大きなハンドル」とか
「周りを見渡しやすい、目線に近いハンドル位置」など、機能価値中心だったハンドルの話から更に飛躍して、
「海に行ってそのまま一晩語り明かすときのハンドルって?」とか
「奥さんが駅までの送り迎えで旦那さんに乗ってきてほしい車って?」とか
バックグラウンドのストーリーを設定してデザインをきていく考え方である。
共感できる価値を取捨選択するために、
ユーザーの目線に立ち、客観的に欲しいか欲しくないかを
判断するためにそのようなストーリーテリングを行うのである。